その他

Lies

 博報堂広報室に意見を述べたところ、でたらめを書いたことについて何ら問題ないと考えているという。映画評論でも記述が間違っていることはあるなどと言い始める始末。

 広報室が正確を期すように努力しますと言えないようでは、メディア企業として終わりである。弊社は嘘つきの会社ですと宣言しているに等しい。

 

 

The Editor

 博報堂の人がこのブログを見に来ているようだが、編集長自らが編集方針について説明すべきである。それができてこそ雑誌である。

Kohkoku (2)

 前項の続き。

 この号では「実際のものと異なる場合がありますが、ご了承ください。ソーリー」と述べている。自ら誤報であると認めている。

 編集長を含め、素人集団が制作しているということだが、

http://www.huffingtonpost.jp/2015/05/15/ogata-mariko-communication_n_7290238.html

 デタラメを書いていると自ら認識していて、価格をつけて販売するのは、素人であろうとやってはいけない。

 クライアント企業の製品情報を誤って伝える広告作りをやってはいけないのと同じことである。

 広告の仕事はちゃんとやっても、広報誌では嘘をついても何とも思わないのは、「甘えん坊すぎる」のにもほどがある。この号は速やかに回収すべきであろう。

 

Kohkoku

 『広告』(2015年5月号)(博報堂)は、アートに対する意識があまりに低く愕然とさせられる。

 詳細を書き記すときは別な場所に記したいと思うが、人類が生み出した最も偉大なアートの一つを冒涜している。

 どこまでネタばれしてよいかについての常識を全くふまえておらず、また記述は間違いだらけである。

 安易な発想で作品を食い散らかしているが、こういうことをされて作り手が喜ぶとでも思っているのだろうか。また、これから作品を見る人の楽しみを奪っていることについて罪の意識はあるのだろうか。

 ミステリーをミステリーとして味わうことができず、安手のマニュアルを作って中途半端に作品を消費する態度では、アートは決して発展しない。

 文化をいかに育てるかという発想がないから、自分たちがどれほど罪深いことをしているかが理解できないのである。

Jirin 21

 世の中には『広辞苑』神話というものがある。だが、私は『広辞苑』には特にありがたみを感じたことがない。常用する国語辞典としては大きすぎるサイズで、百科事典としてはものたりない中途半端な辞書だと感じる。

 三省堂はかつて『辞林21』、その改訂版の『新辞林』を刊行していたが、こちらは百科的な情報が実に詳しく本当に役に立った。だが、この辞書の改訂はもうなされていないようである。ブランドになり損ねた幻の傑作になってしまった。復活を希望する次第である。  

Rebecca

 私はダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』を、高校生のときに大久保康雄訳の新潮文庫で読んだ

 それが、2008年には茅野美ど里訳に改版されていることを先ごろ知った。なぜ、こんな品のない訳を採用したのだろうか。新潮社なのだから、大久保訳を活かした方向で改版すべきだと発言する編集者はいなかったのだろうか。

 大久保訳が古くなっているのは認める。原作の香りを失わない重厚な新訳が、他社からでも構わないので刊行されることを望む。

Cafe Mogador

 名店である:

  http://www.cafemogador.com/

Web Eigo Seinen

 『Web英語青年』が今月号で休刊するという:

 http://www.kenkyusha.co.jp/modules/03_webeigo/#obi

 こうした英米の言語・文学・文化を深く掘り下げる媒体が消えるのは誠に寂しい。

 文化の根っこを理解しようとする努力なくして外国理解は成立しないのであるが、近年の日本では表面的な流行を追うことに忙しくなりすぎなのは由々しき問題である。

Tsuneari Fukuda

 こういうことを言うと怒られるかもしれないが、現代仮名遣いを用いた文庫版『福田恆存全集』が刊行されるべきである。福田恆存の思想が広く親しまれる一助になると思う。

 ちくま文庫かちくま学芸文庫あたりで実現しないものだろうか。

Contents

 日本のアマゾンは書籍の目次を掲げていないことが多い。かねがね思っているのだが、これは不便で、掲載するようにしてほしいものである。

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